作者より

最近新聞などで、九州の山々から、心無い人たちによる、ミヤマキリシマの大量盗掘の記事を目にして、ふとこんな童話を、自分の子供につくってみました

-文:清水秀登-

猿が難しかったです

-絵:清水鹿(8歳)-

赤いじゅうたん

霧島は平和なお山でした。けものも、鳥も虫も草も、みんな仲良く、楽しく暮らしていました。サルのもん太も、なに不自由なく、日々を過ごしていましたが、少々たいくつしていました。何かびっくりすることなど、ないのかなと、思うこともありました。

ある日、木こりがたきぎを取りにきて、たき火をしていました。それを見たモン太に、いたずらがひらめきました。いきおいよく燃えている木の棒を、一本しっけいして、木の枝から枝へと、持ち渡りました。鹿やきじたちが、大声でとがめました。草木は、葉をざわざわ震わせて、モン太に止めさせようとしました。モン太は、ますますおもしろがって、燃え木をかざしながら、森の中をかけまわります。おちょうし者なので、山火事のきけんなど、思いうかばなくなっていました。山のみんなが、おおさわぎするのを、キヤツキヤツと、よろこんでいました。とうとう心配していたことが、おこりました。燃える木から落ちた火の粉が、落葉に燃えついたのです。

火はみるみるうちに、ひろがりました。山の動物たちは、われがちに山をかけおりました。虫たちも、いっしょうけんめい、川のほうへ、谷のほうへと、走りました。かわいそうなのは、木や草たちでした。逃げようにも動けません。火はますます勢いをまして、ゴウゴウと火の粉をまきあげつつ、広がりました。もう手がつけられません。地獄のような炎の中で、草木は悲鳴をあげながら、焼け死んでいきます。

われにかえったモン太は、真っ青になって、火を少しでも消そうと、努力しましたが、どうにもなりません。そこで逃げ遅れた、けものの赤ちゃんなどを、助けて、安全な場所に、移したりしました。

こうして風上の池のほとりには、モン太に救われた何匹かの赤ちゃんが、おびえて、しゃがんでいました。火事がようやくおさまった後には、真っ黒のはげ山が、残されていました。モン太はいまさらながら、たいへんなことをしたとさとり、頭をかきむしってくやみました。せめてもの罪ほろぼしにと、助けた赤ちゃんに、食べ物を探してきました。

ひまがあれば、つつじの木を、近くの山から、掘ってきてうえつけました。そうしているうちに、山火事から逃げのびていた、山の動物たちが、一匹また一匹と、帰ってきました。だれもがふるさとの変わりように、びっくりしました。行方不明のみうちを、探しまわるものがいました。助かっていた赤ちゃんを抱き、泣いてよろこぶ親もいました。

モン太の裁判がひらかれました。口々に、「死刑だ」とさけぶ声が、おおかったのですが、同情する声もきこえました。モン太のほうは、覚悟ができていて、うなだれたままです。長いあいだ、意見がかわされました。モン太はわざとしたのではないし、後悔して、つぐないのおこないもしているので、島流しにしようと、きまりました。

あるおだやかな春の日、モン太は、ワシの足につりさげられて、空高くまい上がりました。ふるさとの黒いはげ山は、だんだん遠くなります。とうとう見えなくなりました。ワシはもうこの仕事を、何十年としている、がっしりした、たのもしい鳥でした。

「わしももう年だで、運び屋も楽ではないわい。ここいらで引退して、あとを息子にゆずろうかと、思うとるんじゃ」

無口なワシが、モン太に話しかけながら、長い旅がつづきました。やがて眼の下に、海が広がってきました。さらには、小さな島が見えてきました。

その島こそ、モン太がこれからの一生を送る場所なのです。

「さあ、ついたで。ここが目的地だよ」

「わしも最後の仕事をぶじに終えて、気が楽になった。あんたの方は重くなったろうが、やけにならんでな。」

「長生きしとれば、あんがい早くよびもどされるかもしれん。気をながく持ちなさいよ。」

わしが涙ぐんで、はげましてくれました。そして大きなつばさを、ばたばたさせて、北のほうへと、飛び去りました。

こうして、モン太はその無人島で、さみしい、不自由な生活を、つづけました。何回か重い病気で、死にそうになりました。が、もともとからだの丈夫なモン太は、生きのびていました。

モン太は、今ではすっかり年老いて、ねこぜで、しらががいっぱいの、おじいさんになって、しまっていました。むりもありません、もうあれから二十年もの、時間がすぎていました。そのあいだ、モン太は一日として、ふるさとのことを、忘れませんでした。なつかしい幼ともだちが、まぶたに浮かびます。やさしかった両親が、夢に出てきます。やるせない気持ちになって、なるだけ高い木にのぼりました。霧島のお山が見えないかと、むだなことをくりかえしました。

ある日、そんな事で日をすごしている、モン太の近くで、わたり鳥のつばめが、羽をやすめました。

「つばめさん、霧島の山のそばを、とおりますか」

「ええ、近くをかすめますよ」

「それでは、そこのだれかに、このてがみを渡してください。おねがいです。」

その手紙には、むかしの自分のあやまちをわびること、ひとめ、ふるさとを見たい、幼友達にも会いたい、などが書かれていました。その手紙の中には、死ぬときは、父母の墓のそばに、という願いとともに次のような事が、かきそえてありました。

「もし、わたしのこのねがいが、かなえてもらえるならば、遠くから一目でわかるように、してほしい。それには、もとの私のすみかのあたりに、なにか赤いものを、めじるしにおいてほしい。」

「もし、赤いものが見えないときは、そのまま行きすぎて、よその土地にゆきましょう。」

と、書かれていました。

モン太はワシの定期便を、まいにち首を長くして、まちました。ふるさとの霧島では、まだモン太の友達たちが、元気でくらしていました。年老いてはいたものの、むがむちゅうで働いていました。自分たちの土地を、まるやけになる前より、もっと豊につくりなおしていました。そんなところに、つばめがモン太の手紙を、とどけてきました。

「モン太のことを、忘れておったわい」

「たっしゃで、生きのびていたらしいのう」

昔のともだちたちは、互いに自分たちのうかつだったことに、気がつきました。自分かってに、豊かなくらしをきそいあっていた、自分たちをはずかしく、思いました。お山ぜんたいの、会議がひらかれ、まんじょういっちで、あたたかく、迎えることになりました。ある春の日、定期便のワシをよびとめたモン太は、20年まえと同じ道のりを、ぶら下がって、北にむかいました。

「わたしを運んでくださったワシのおじさんは、たっしゃですか」

「いえ、もうとっくに、亡くなりました。死ぬまぎわまで、あなたのことをずいぶん気にしていましたよ」

海をこえての、長い道のりでした。やがて、遠くにポツンと、陸地が見えてきました。そのうち、霧島のお山も、はっきりしてくるでしょう。それなのに、モン太は目をつぶってしまいました。見たくないのではなく見られないのです。すぐにでも、たしかめたいのです。が、自分のしでかした傷跡を、見るのがこわいのです。どうしても、目があかないのです。

「サルのおじさん、もうじきですよ」

「私も、おやじの気がかりだったことを、片づけられそうで、肩の荷がかるく感じますよ」

モン太は、かんがいぶかそうに、うなずきましたが、目はとじたままです。ワシのすがたが、それとわかるほど、はっきりしたとき、山から大合唱がはじまりました。

鳥と虫の、美しいメロディが、ばんそうです。その美しいしらべに、モン太は、思わず目をあけました。なんだか、目の前全体が、赤く感じられました。いっしゅん、山火事かと、思いちがいをして、びっくりしました。

目がなれるにしたがい、それは、赤い花がいちめんに、咲いているのだとわかりました。それも、山ぜんたいが、赤いのです。

それは、山火事のあとに、モン太のうえた、ツツジの木が、山いちめんにはびこっていました。どれも、目のさめるような、花をいっぱい、つけていました。山のてっぺんには、山のどうぶつたちが、でむかえていました。いっせいに手がふられ、拍手がとどろきました。そんなところに、ワシにかかえられたモン太が、ゆっくりと、旋回しつつ降りてゆきました。

赤いツツジと、割れるような拍手の中を、モン太は歩きました。声をはりあげ、泣きながら、歩みました。さながら彼の帰還は、赤いじゅうたんを歩む宇宙飛行士のようでした。

山のなかまたちは、モン太を、とうに許していました。その永年の苦労をいたわる気持ちが、いっぱいになっていました。そこでモン太に、すぐわかる歓迎の方法を、相談しあったのです。山のツツジたちは、それまで、白い花をちょぼちょぼ咲かせていたのですがこれからは赤い花を、びっしりさかせることに、改めました。モン太のすむ家も、大いそぎで、修理されました。

これでモン太は、お山ぜんたいの心づかいの中で、余生をしあわせに、くらせるかに思えました。でもモン太のからだは、寄る年波と、永年の苦労とで、弱っていたのでした。七日後には、山の仲間にみとられつつ、

「わたしは世界一しあわせな男だ」

と、つぶやきながら、あの世にいってしまいました。山のなかまたちは、無人島で苦労した、モン太のとむらいにと、毎年供養をしました。春おそく、出むかえのときと、同じことを、くりかえしました。霧島のお山では、今でも五月の末ころ、赤いじゅうたんが、山のしゃめんをいろどります。その名も、ミヤマキリシマというツツジが・・・

モン太の感激と、仲間のおもいやりを、後の世に伝える、永遠のしるしのそのありさまは、何知らずおとずれる、人々の心をうつのです。